この相談者はまるで私の母のよう(前編)

今日も暑い一日となりそうだ、朝からこの陽射し、真夏日になるだろうか。

家の中、西側北側の涼しいエリアに避難し照りつける日差しを眺めてコーヒータイム。

まもなく九月の声を聞き朝晩めっきり涼しくなったが、日中はまだ夏の暑さだ。目を刺す空の青さと日差しのつくる影が、その強烈さをアピールしている。

今日が暑くなりそうといっても峠は越えた、「暑さ寒さも彼岸まで」の秋のお彼岸に向かっている、暑さのピークは過ぎたのだ。そういえばこのブログで暑さに向かうころの記事をあげていたことを思い出した。今日と同じ土曜日で、同じシーンの写真をあげて新聞の同じコーナーの記事について雑感を述べた。この記事もだから夏の始めと終わりの違いだけで、今日の人生相談に想いを巡らすことも前回の相談に想いをめぐらしたことも暑い日だった点で似ていても、ピークを越し確実に秋に向かっている残暑と捉えれば「暑さの様相」は異なるのだ。

https://imoaka.com/2021/07/20/7月20日(火曜日)午前7時21分/

ひとは悩まずにいられない、悔いずにいられない、生きることが苦であると覚悟せずにいられない、その真理を自覚してもそれらの呪縛から逃れることはできない。今日もまた悩みの相談がある。

いつものように相談の回答を自分流にアレンジするのはあとにします。相談の内容があまりにも強烈に(我が)身につまされたからだ。わたしの母は十数年前に亡くなったが、まるで自分の母親が相談しているのかと錯覚するほどのリアリティーさだ。まいってしまう。今回の相談の相手は相談者(母親)の娘さんだが、おのれの母親の場合は(スッカリ身につまされたわたくし)娘でなく息子と言うことになる。相談を素直に聞き取れば私の母親も相談者と同様にワガコ(息子)にわだかまりを持っていたに違いない。

今振り返れば「親とはいえよくぞこんな未成長息子にお付き合いを願っていたなぁ」と反省すること然り、悔いること然り。

こうした相談が取り上げられること自体そうした事案が世に多くはびこっていることの証左か。それはありがちなことだ。親子だからこそありがちなことと言えるかも知れない。(前編終了)

 

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