学ぶことは生きること、わかることはかわること
苦いコーヒーを飲んでいます。
コーヒーは人生をともに歩むだいじなアイテム、いろんな場面に登場する。小説の中に、映画の中に、歌の中に、さまざまに・・
半世紀前に流行った歌謡曲のフレーズはこんなふう。
「夜明けのコーヒー二人で飲もうとあのひと(男)が言った恋の季節よ」
こうしたシチュエーションで飲むコーヒーが甘いか苦いか直接経験がないのでわからない・・。
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しかし今朝のコーヒーの苦さのわけはわかる。
昨夜したたかヒトリイエノミのダメージが内蔵に重いボディーブローを打ち込んだのだ。ノックアウト、カウントテン、負けだ。正月用みかんのいっこにこ摂れるだろうか、そんな塩梅だ。
それでわかることは、「学んでいないんだなぁ、わかっていないんだなぁ」ということ。
ウーム、あまのじゃく的演繹的解釈ならば
「ちゃんと生きていない、きちんとわかっていない」となるのだろうか・・