映画観賞後のコメント

新聞でシドニーポワチエの追悼記事を読み、紹介されていた映画「招かれざる客」を見た。

名作映画「招かれざる客」1967年アメリカ

コメディータッチの映画かと軽く観始めたら途端にドボンとはまる。観終わったら涙でボロボロ、鼻水グシャグシャ、口は大笑いの連続でガクガク。1967年制作アメリカ映画でシドニーポワチエ主演。コンピューターグラフィックも細工も一切ない正統派感動映画。人生案内コメディ哲学映画とでもいうべきか。一人ひとり俳優のセリフが的確で重く軽く自由自在、すべての出演者が主役といってもいい感じ。

人に感動を与えること。①静かな語り口で、②著した小説で、③制作した芸術作品で、④あるいはお笑い芸で見るひと聞くひとに感動を与えることはできる。

心に響き涙が溢れ、涙をこらえれば肩が小刻みに震える、おかしければ口をあけて大笑いする。でもそれはたやすくできることではない。

涙を誘う感動の与えかたもあり、おかしくて笑わずにいられない感動の与えかたもある。これらは別々に用意されそうだが、まれに、涙でボロボロになり鼻水でぐちゃぐちゃになったところで思いっきり大口を開けて笑わせてしまう「最高級の」テクニックを持つものがある、映画であったり、上等な講演会、上手い噺などだ。

涙を禁じ得ず鼻水垂れを我慢出来ずハンカチを当てる矢先、爆笑させられてしまう事態。この映画はそれを頻繁に繰り返す。つくづく思う。こうした名画は暗い映画館で他人に自分の顔を見られることがないからこそ安心して観ることができると。今も一人暮らしの安心で身も心も開放して観たのだ、まったく名作だと思う。

終了後に、鏡で自分の顔を見てはいけません。まして家族と一緒に観ると大変。観終わり隣と同じ顔になっているんだ、ダラダラグショグショアングリガオが恥ずかしい。だからひとりで観よう。

かって著名人の講演会などで「感動の池に溺れ死んだ」ことは経験している。なかで記憶に残るのは「笑わせた直後泣かせる、また大いに泣かせたところで一気に笑わせる」高等テクニックを乱発した小説家の講演を小出の公会堂で聞いたときだ。

もし鏡があったら自分の顔はどうなっているのだろう。とても見られたもんじゃないと嫌になったことがあった。涙ボロボロ鼻水ダラダラ、なのに大口を開けて笑ってしまう。終わって退場するときのコッパズしいことはなかった。

なかなかむずかしいことだと思う。できるのは小説家や芸術家や噺家の役目でしょうか。そうした機会に出会えること、しあわせなことでございます。

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